自己紹介

直感数秘マイスターのゆみです。
私は1975年8月30日生まれ、乙女座のA型、うさぎ年です。
聞こえはすごく乙女な感じですが、ハチャメチャ大好き人間です。

現在3人の娘と一生中3の夫とマイペースで愛嬌のあるワンコ2匹を育てる母として、長い間、家族のためだけに生きてきました。
自分の本音や願いはどこかに置いてけぼりで、母としての私、妻としての私を優先してきた日々だったのです。

家族といった徳島旅行

ハチャメチャ人生

昭和50年に大阪で生まれた私、厳格な父のもとで礼儀作法もしっかり叩き込まれながら、父の前での真面目な自分と、おてんばな本当の自分という二極性を持ちながら小学校時代を過ごしました。
そんな私が大人になり、数秘と出会うまでのハチャメチャ人生をご覧ください。

直感数秘 ゆみ
昭和のポーズでこんにちは♪

原点は厳格な父

私の両親は、九州男児と九州おごじょ…。
家で見るテレビと言えば、ニュースか野球か野生の王国…。
すべて父が選ぶ番組ばかりでした。
そんな父がいない時に、ロードショーを見せてくれて、息抜きさせてくれるのが母でした。

父は、家族も友達も大事で、いろんなところに行ってみたい人…。
流行りは好きじゃないけど、これからのトレンドは気になるようで、私に電車の乗り方も教えてくれたり、ごはんもコース料理のお店によく連れて行ってもらいました。

そんなじっとしていることが苦手な父は作ることも食べることも大好きで、高級な料理も野性的な料理も、家の中での当たり前な料理も、全部食べたい人でした。
人を集めて、鶏や魚をさばいてみんなにごちそうしていたので、お嬢様だった私も、鶏や魚をさばくことができるのです。

「これからの時代は女性も世界観が必要になるから、自分の足で立てるようになれ!」というのが父の口ぐせでした。

お嬢様だった幼少期

幼い頃から、どこか自分らしさを出したい部分と真面目にしなければいけない自分がいて、常に二極性を持っていました。
家族の前では自分らしく、外では真面目に律義な子どもだったと思います。

礼儀作法に厳しい父の「つつましい女性像」を叶えるべく、お寺の裏に住んでいたこともあり、お寺の奥さんにお茶、着付け、華道、ピアノをマンツーマンで習っていました。
ところが、そんな自分から飛び出したくなり、なかなか続かず、飽きて逃げ出してしまうのです。

そして、働いている母のお手伝いをしてからでないと遊びに行けなかったので、仲良しの友達とは約束ができませんでした。
家族や大人と過ごす時間が多く、大人の話を聞くのが好きだったので、子ども同士ではどこか冷めていて、群れない、楽しい時にしか参加しない子どもでした。
気づいたらいつもひとりでしたが、いじめられたり落ち込んだりすることはなく、お手伝いが終わった平日の夕方に、友達と暗くなるまで遊ぶことを楽しみにしていました。

友だちとはあまり遊べませんでしたが、家族でキャンプに行ったり、いろんなところに出かけました。
女性らしさも大切ですが、アクティブな釣りやキャンプを体験させてくれたのは、今では良い経験です。

その後、中学受験で友達の接点は減ってしまい、さらに家族の中で過ごすことが多くなりました。
親はちゃんとした子に育って欲しいと願っていたようですが、私にはそれが窮屈で仕方なかったのです。

バイト三昧の日々

高校生になって、中型免許を取らせてもらいました。
おじいちゃんが牛を売ってバイクを買ってくれたので、宮崎からフェリーで大阪に帰ってきました。
もちろん18歳で車の免許を取って、初めて乗った車がワンボックスと2tトラック…。

そんな私の初めてのアルバイトは、スーパーのレジ打ちと不動産会社での雑務係でした。
不動産会社の事務所で女性がバリバリ働く姿を見て、「アタシもこういう世界に入りたいな」と思ったけれども、専門学校に入学後、家から解放される時がやってきました。
親には迷惑をかけましたが、専門学校時代は楽しすぎました。

親の紹介で建築会社に就職したのですが、型にはまる業務が苦手で長く続かずにアルバイトに返り咲き…。
私が選んだアルバイトは、ホテルの配膳でした。
いろんな人がおしゃれをしているのを見るのが好きで、礼儀作法・マナー・異業種の集まり・上下関係など、今まで経験してきたことがすべて詰まっていたのです。

そして、喫茶店やクリーニング屋さんのバイトもしながら高校時代の友達と遊んでいたら、知り合いのおばさんに声をかけられ、水商売の道へ…。
初めてのひとり暮らしを体験し、楽しいけれども家賃・光熱費・食費を払うことを知った22~23歳の私は、「これはもっと稼ごう」と深夜のもやしの配達や車のディーラーなど、寝る間を惜しまず稼ぐことに必死になっていきました。
やがて、自分で目を付けた車を購入して整備して、自分でできることの楽しさを知ったのです。

いろいろなビジネスと出会い、恋愛を経験しながらも、このままでは何も残らないと感じた20代後半…。
ホテルの中華屋さんでバイトをして、広東語を話せるようになって、ひとり香港へ旅立ったこともありました。

スピード結婚から現在まで

そんなやりたい放題の私が、ひとりという責任の大変さを知った頃、両親が宮崎へ戻ることになり…。
ひとりで大阪に住むことを決意した途端、スピード結婚し、家庭に入ることになりました。
30歳になったら結婚しようと思っていた、私の新しい人生のスタートでした。

家庭に入るなら、家庭を守らなきゃ…。
亭主関白な中で「家の中で帰りを待つ」のが専業主婦だと思っていました。

もし、ママ友とランチをしていても、電話が鳴ったら旦那ど子どもが最優先。
自分の意見を押し殺して生きるのはつらいと思いながらも、無意識にそうしていたのです。

そんな私ですが、子どもが大きくなって少しずつやりたいことを始めるようになりました。
パン教室を開くためのライセンスや、夫の仕事をサポートするための資格取得をし始めたのです。
ちょうどその頃、夫が家族の絆を大事に、自分が思い描く家庭像を持っていることに気づきました。
でも、自分の思っていることを言ってくれなかったのです。

そして、数秘に出会い、外に出ていく機会が増えると、夫とすれ違うことが多くなりました。
子どもたちが家族会議を開いて取り持ってくれたのですが、お互いの気持ちはなかなか言えません。

すると、幼い頃にお世話になっていたお寺の奥さんが出てきて「今まで思っていることをぶちまける」ように言われたのです。
お互いが思っていることを言わずに「こう思っているんだろうな」という想像で判断していたことに気づきました。
ここで初めて、言いたいことが言えるようになるようになったのは、ごく最近のことなのです。

パン教室にて

数秘を知って家族が変わった

「もし、子どもたちのトリセツがあったら買うで!」と言いながら、出会ったのが数秘でした。
そんな私がいちばん嬉しかったのは、長女が高校卒業の時、「家族の支えがあったからここまで乗り越えてこれました」と言ってくれたのです。
「数秘ちゃんとやっていこ」という想いにつながりました。

いろんな人と知り合うのが大好きな私なので、わが子同様、他の子どもたちの声にも耳を傾けたいと思うようになりました。
今の子どもたちはもちろん、子どもたちに関わってくれている大人たちの心も豊かにしたいと願うのです。

幼い頃の私は、がんばっているつもりなのに、どこか空回りしたり理解されなかったり、周りにいる人にも「こうあるべき、もっとちゃんとしなさい」と期待や型を押し付けてられているように感じていました。
ガマン、ガマン、自分さえガマンすれば、と…。

私はずっと家族のため、人の期待にこたえるために生きてきました。
進路も仕事もどこか人まかせで、本当の自分の気持ちを後回しにしてきたのです。
でも、ある時、限界が来て、このままでいいのかな?という違和感に気づきました。

「なんか、自分がしたいことあるんちゃう?」と…。
そんな私が人生の転機を迎えたのが、直感数秘との出会いでした。
自分の本質や歩んできた道に意味があったことを知り、初めて「あ、この人生でよかったんや」と改めて思ったのです。

今も自分の心に正直に、迷いながらも一歩ずつ歩み直しています。
人生を変えるのに遅い早いはないのです。
私は遠回りしてきたからこそ、変わりたいと思う人の気持ちがわかります。
本当の自分と出会い直したい皆さんに、しっかり寄り添いながら、その一歩を応援していきたいと思っています。

一緒に楽しみながら、進みさせていただきます。
よろしくお願いします。

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